Admin 
お久し振りです。
突然ではありますが、タイトルにもある通り
今日のブログ更新を持って
このブログの更新を終了したいと思います。
理由は多忙の中更新していくのが厳しくなってきたからです。
今までも殆ど更新せず長い間放置の状態が続いてきています。
コメント等も毎回遅れての返信で大変申し訳なく思っていました。
これ以上中途半端に運営していても迷惑を掛けるだけだと思い、
今回、更新終了を決意しました。ご理解頂けたら嬉しいです。
今までお世話になった皆様本当にありがとうございました。


今後は梔 message from 丈 takeshiのほうに書いていきますので、
そちらの方でまた宜しくお願いします。
それでは。

 このレポートではテーマである「大学で学んだこと、学べなかったこと」を、五つの項目に分けて考える。また、課題テーマの都合上、レポートには相応しくない主観的感想や意見を多く含む事を前に述べておく。


「入学前-大学に何を期待したか。何のために大学に入ったか」
 大学に期待したものは「自由」である。そもそも自由とはなんであるか。手元の辞書によると「束縛や障害がなく、思うとおりにできること」(角川最新国語辞典 三十五版)と記されている。では大学に束縛はないか? と、言われればそうではないはずである。講義に出なければいけない、勉強をしなければいけないなど時間的な束縛が出てくる。しかしそれは社会の束縛(義務や責任)と比較すると微々たるものになるのではないだろうか。私は大学に真の意味での自由を期待したのではなく、社会と比較した上での「自由」を期待していたのである。
 私が大学に入った理由として挙げられるものは、「人脈を広げるため」「新しい知識を得るため」「将来の目標を明確化するため」「(社会に出るまでの)身分保障のため」である。人脈を広げることは、新しい知識を得ること、将来の目標を明確化することにも繋がってくるので、私が大学に入る理由としては比較的大きかったと言える。最も大きな理由としては「(社会に出るまでの)身分保障のため」が挙げられる。これは「社会に出るまでの時間稼ぎ」との解釈で結構である。これが大学に入った最も大きな理由ではあるが、これが全てという訳ではない。それを証明するために、この理由を一次的な理由と定義してみる、その他の理由は全て二次的な理由となる。それはこうである。

時間稼ぎの為の入学(一次的)→「時間稼ぎ」の時間を人脈を広げる為などに使う(二次的)

しかし、「時間稼ぎ」の時間を使う理由がない場合はどうだろうか。

「時間稼ぎ」の時間を使う理由なし(二次的な理由なし)→入学してもなにもしない(そのような事は不可能であるから入学しない)

そうすると、二次的な理由無しに一次的な理由は存在しないことが分かる。それは理論上成り立たないので、「社会に出るまでの時間稼ぎ」が大学に入った理由の全てでないことが証明された。上に挙げた四つの理由(またはそれ以外の理由)が複合的に絡み合って大学入学に到ったのである。


「入学後-何を学んだか。学べそうか」
 知識を増やしたという意味ではたくさんのことを学んだが、入学して四ヵ月、今自分のためになっていると実感できるものは、人間観察により得られた情報である。大学には色々な文化・思考を持った人間が集まっている。離島やさまざまな都道府県から来た人達との交流は、どんな講義からよりも学ぶものは多かったと思われる。また、自らヒール役となって講義を行う宮城能彦には「先生」というものに対する価値観を揺さぶられたと共に、人間として真に「善く生きる」とは何かを考えさせられた。 私はこれからもたくさんの人間と交流し、学べるものはすべて学ぶつもりである。

「入学後-何が学べなかったか。学ばなかったか」
 私の考えでは「学ぶ努力をすれば学べないものはない」である。「学ぶ」ということは新しい知識を得ることである。新しい知識を得る上では、「勉強」や「体験」というプロセスが必要であるが、それは己の努力によって可能である。それ故私は学べなかったものはない、と言い切る事が出来る。 上記と同じ理由で学ばなかったものはいくらでも存在する。私が学ぶ努力をしなかったものは全て、学ばなかったものである。

「入学後-どんな努力をしたか。しなかったか。どんな努力が必要か」
 努力と呼べるような努力に価するかは疑問であるが、「私は将来何をするべきか」を、考えることにたくさんの時間を費やした。私は未だに将来の明確な目標を持てていないのである。恥じるべき事ではないと思っているが、明確な目標が存在することで、勉強などに対する姿勢やヤル気も変わってくると推測出来るので、「将来何をするべきか」に一時的にでも答を出すことが求められる。
 努力しなかった点はあまりにも多く、ここに書き記す事は不可能である。入学から今まで努力らしい努力をしたことがないというのが私の本音だ。なぜ努力らしい努力をしてこなかったのか。それは上記で触れたように「将来何をするべきか」が明確でないため、努力の方向性が不確定となり、それに向けられるエネルギーの生産も持続できなくなるためであると考える。ではこれからどのような努力が必要なのか。それはズバリ「将来私は何をするべきか」という問いに答を出すことだろう。

「そもそも私はなぜココにいるのか」
 おそらくそれは誰にも分からないと思われる。人間はなぜ地球に存在するのか? この問いに多くの答が存在するように、自己本位な解答で終始するだろう。「私はなぜここにいるのか」を私に問うならば、私は「私がこの場に居る事を望んだからここにいる」と答える。私は私の意思で母親の胎内で育ち、私の意思で這い出してきたのである。私はその後、外界の環境の影響を受けながらも己の意思を貫き、今ここに存在するのである。これは誰にも否定できない事実であり現実である。

身体が。。

忙しくし過ぎたせいか今週入って
身体の調子がよくないです。
ライブ大丈夫かな。。

ってか書かないといけないレポートが
幾つか溜まってしまってヤバイ。
今日は徹夜だ。

そういえば、
前パソコン壊れた時にデータ全部飛んでしまって
今までに書いたレポートが全て消えてしまいました。
結構頑張って書いたやつとかあったからショック。。
何故か大学入って一番最初に書いた
社会学のレポートだけ残ってました。記念に載せます〜。
なんか読み返したら、、
何が言いたいのかよく分からんレポートだ(笑)
でも文章が一年生って感じで初々しい。
ではまた。

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